乾清宮は1873年(高宗10年)、景福宮最北端に建てられた「宮の中の宮」です。「乾清」とは「天は清らか」という意味で、民間の士大夫の家の形式に倣いながらも、華麗で繊細な造りとなっています。王の空間である長安堂と王妃の空間である坤寧閤は回廊でつながっており、高宗と明成皇后はここで約10年間過ごしました。
しかし1895年(高宗32年)、坤寧閤の玉壺楼で明成皇后が日本人によって弑殺される乙未事変が起き、乾清宮は韓国近代史の悲劇が刻まれた場所となりました。翌年高宗がロシア公使館へ居を移した後、日本は1909年に乾清宮の建物を完全に取り壊しました。
長らく跡地のみが残っていた乾清宮は、2007年10月に復元工事を終え一般公開されました。景福宮の奥まった場所にあるため他の殿閣より訪れる人は少なめですが、その分静かに近代史の一場面と向き合える場所です。